断食体験日記
2008新年期間断食予定
12月29日土 | 断食1日目 | 仕事 | |
12月30日日 | 断食2日目 | 宝登山 | |
12月31日月 | 断食3日目 | 上野公園 | 先に両足で立っている猿 |
1月1日火 | 断食4日目 | 高尾山 | |
1月2日水 | 断食5日目 | 荒川·赤羽 | 食べるのは、人間の何百万年の習慣です |
1月3日木 | 断食6日目 | 代々木公園 | 食糧問題はすぐに解決できますか |
1月4日金 | 食を始める | 新宿御苑 | |
後の感想など | 断食の応用 | 断食の意味 |
断食は気功の言葉で「辟谷」(pigu)です。
「辟谷」についての書面記録は、中国秦漢時代の「大戴礼记·易本命」の中にあります。“食肉者勇敢而悍,食谷者智慧而巧,食气者神明而寿,不食者不死而神。”「肉を食べる 者は勇敢、谷を食べる者は知恵、気を食べる者は長寿、何も食べない者は不死の神になる。」 という言葉は、現存する最古の断食理論です。「荘子·逍遥遊」の中でも“不食五谷,吸风饮露”「五穀を食べず、気を食べ露をのむ」のよう に仙人の記録が残っています。
気功の断食は、大体二種類あります。一つは薬や果物を少し食べ、長期間主食を取らない。もう一つは水だけ飲みます。私の前回の断食体験は、13日間水だけ 取るものでした。今度は6日間の予定です。蜂蜜を飲むかもしれません。 (結果は終わるまで蜂蜜を飲まなかった。予想より調子が良かったから)
12月29日(土) 断食1日目 仕事
昨日夜食事したのが、今年の最後の食事でした。果物以外の食品を捨てました。今日から、断食が始まります。
今日はまだ仕事です、通常私は昼は果物のみとります、しかし今日は果物を食べません。果物のみのことですから、大体普通と同じのまま、特別な変化はないです。 15時の体重は58キロです。
2006年9月から、今まで、一日一食になりました、昼は果物ですが、大体りんご、梨、柿などです、量も以前は二つでしたが、一つになりました。夜は自分で作って、野菜を中心 に、パンか、お粥を主食に、ビールまたは葡萄酒もすこしですが。理由は規律のためです。一日三食か、二食か、一食か、または食べないか、どちらでもいいのですが、大事 なのは、規律を守ることです。規律ということは、同じ時間に適度に食するということです。規律を守らないなら、食べないほうが多分体にいいと思います。
TOP12月30日(日) 断食2日目 宝登山
朝コップ1杯のお湯を飲んで、出発しました。
朝8時37分の西武池袋線で秩父の野上へ行きました。11時ぐらいに到着。気温は8度ぐらいでした。山を登る時、雨が降りました。風も強いから傘を使えなかった です。ある平坦なところで、気功を練習しました。雷もなりました。気づかないうちに、快晴になっていました。続けて、宝登山に登りました。
熊もいるみたいですが、多分新年で熊も休んだかな、会えなかった。
頂上までの途中は一人も会いませんでした。一気に頂上まで登りました。一時間半かかりました。野上駅から長瀞駅までの登山コースは7キロぐらいですが、あまり疲れませんでした。
池袋に戻ると18時8分でした。
19時15分、体重54キロです。
お風呂に入ったら、ちょっと疲れたように感じました。
夜コップ2杯のお湯を飲みました。
特別な感じがなかったです。
TOP12月31日(月) 断食3日目 上野公園
今日はお湯コップ2杯飲んで上野公園へ行きました。
途中で手袋を買いました。前の手袋は昨日登山の時どこかに落としました。私の手はとても寒がりですが、冬は外で練功の場合、必ず手袋をはめます。
公園を回って、気功の練習ができる場所を探しました。不忍池に向かって練功しました。
子供をつれた親子に「人形?」と言われました。子供たちも「人形?」と写真を写したみたいです。
17時、体重53キロです。
夜はコップ2杯のお湯でした。
まだ元気いっぱいの感じですが、多少 身体が弱まったような感じもありました。
想像画面
2207年、孫の孫の孫の孫は2007年のビデオを見ながら質問する:「皆さんはラーメン屋さんとか、中華料理屋さんの前に並んで、時間をかけるのは、そんなつまらないものを食べるためですか? 「気」を食べればいいのに、何でそういう固体ものを食べますか?」
どう答えたらいいでしょうね。また質問がきた:「おじい~~~さんはそういうものを食べたことがありますか?」
「何十年ぐらいたべたのよ。そのときはすべての人間はそういうものを食べますよ。食べないと、死んでると思ったから。」と私の答え。
「不思議だね、その時の人間。」迷ってる孫の孫の孫の孫さん。
先に両足で立っている猿
今までの人間は、類人猿から何百万年かかって、進化したものです。
その長い進化過程で、四足で歩くのから、両足で歩くのになるのは、何十万年かかったでしょう?また、全ての猿が一度に両足で立つようになったわけではありません。必ず一部の猿 が先に両足で1メートル、2メートル歩くようになり、更に何年後かに、両足で10メートルまでできるようになったのでしょう。徐々に、両足で立てる類人猿の数も増えて、距離も長くなったでしょう。今の人間から見れば、両足で歩くことは当たり前でしょう。子供が生まれ てから両足で歩けるまで、1年、2年ぐらい時間がかかりますが、人類としては、何百万年かかりました。
今の人間の進化は終点ではなく、途中です。
この数年間で、月、火星まで着くロケットなどが作られました。人間がほかの星で生活する日も遠くないでしょう。また、地球の終わる日があるでしょう。人間は必ず地球以外の生存空間を探します。それについて、二つの方法があります。一つは地球 により近い環境を作る、もう一つは人間自身はもっと広い生存範囲へ進化します。そこまで個人の人間として遠い話だけど、宇宙時間で測れば、その日の到来はわずか一瞬でしょう。
これからの人間進化は、多分類人猿から現代人までほどには時間がかからないと思います。今までの進化は自然進化でした。今の人間はもうすごい意識を持っている高級物種です、これからの進化はただ の自然進化ではなく、人類の自覚進化の時代になりました。気功はその自己進化の探求手段です。
「食べ物を食べないと、生きられない。」という時代はそろそろ終わるだろうと思います。それはまだいろいろ実践研究する必要がありますが、人類は固体食物から解放されるまで多分また200年かかるかもしれません。その意味から見れば、私のこの六日間の断食体験は、人類が新しい生存方式の探求の一部として、意味があるでしょう。
その意味で、私は人類進化歴史の中で、先頭に立つ一匹の猿ともいえるでしょうか。
TOP1月1日(火) 断食4日目 高尾山
2008年の初めの日です。いい天気です。
朝お湯コップ1杯飲んで、9時から高尾山へ行きました。10時過ぎに到着しました。
登山の時、脚心を引き上げ、鼻しか呼吸しないで、ゆっくり、一気に頂上まで登りました。それほど疲れなかった。
降りたとき、あるお寺を経由しました。人が多かった。そこは気感がいいです。すぐに元気いっぱいになる感じがしました。軽く降りました。
池袋到着は16時ぐらいでした。ちょっと寒い感じがしましたが、ほかに特別感じがあまりなかったです。今日はちょっと寒そうです。
20時30分、体重51キロです。夜お湯コップ2杯を飲みました。
TOP1月2日(水) 断食5日目 荒川·赤羽
今日はお湯をコップ1杯飲んで赤羽の荒川に行きました。いい天気でした。ちょっと風が強かった。
太陽に向かって練功しました、大馬歩庄も練習しました。終わったら、元気いっぱいでした。全然断食している感じがなかったようでした。
18時30分、体重51.5キロです。昨日よりちょっと回復したようです。昨日は登山で消耗が大きかったかもしれません。今日はちょっと回復しました。また便意もちょっと 感じて、今は大便の可能性は全然ないから、それは収めた気が出ようとしているのです。すぐにお腹を揉んで、上がるよう消化します。
夜お湯コップ2杯を飲みました。
池袋で電子ジャー炊飯器を買いました。前回断食の最後の何日間で、食器も更新して、いろいろな食べ物を買いました、断食を終わったら、それを食べようと思いました。実はほんとに食を始めたら、それらのたくさんのもの はあまり食べなっかた。結果は期間が長くて捨てたものも多くありました。実は多分断食の意識ですので、町の食を見ても、それほど空いてるとか、口が卑しい感じもあまりしないですが、ただ、そろそろ食べよう とする時には、たぶん心理的バランスが動いているから、特に食器と食べ物の買い物に興味があります。期間まで食べないけど、よく食品を買い集めました。今度は経験を纏めて、食品をあまり 買い集めないように、実際に食べるものを買います。前回は後の日で毎日食べたいものを書きました。新しい食べ方も発明しました。ただ食を始めたら実践しなかった(笑)。食をそろそろ始めようの前の何日間、頭が興奮です。
前回断食を終わったら、もっと食を大事にしました。食習慣も多少変わりました、それもそれから一日一食するのの土台になりました。断食前ほとんど外食ばかりでしたが、それから、毎日自分で料理を始めました。また、どんどん外食に興味が弱くなりました。また、 以前の胃腸の病はなくなったようです。断食して、多分パソコンの再起動と同じように、前の一部のエラー、人間として病気、悪い習慣が、またゼロから再起動するように理解してもいいかな。
断食の時、いくら「元気」といっても、その中の苦痛は自分だけが分かるでしょう。その時、食はやっぱり大切なもの、命まで理解も深くなるでしょう。だから、体も精神 も、もっと深く刻みこまれているように変わるでしょう。
食べるのは、人間の何百万年の習慣です
食べるのは、私にとっては生まれてから何十年の習慣です。人類としては何百万年の習慣です。だから、急に断食して、苦痛は当たり前です。その時、意識はほとんど主な作用を発揮しています。現代医学によって、普通の状態で断食は一週間 が限界です。だとすると、断食している人間にたいして、恐怖を覚え、意識は緊張状態で、生命力は衰弱します。その結果、胃腸が回復できない傷を負うか、死亡するかもしれません。ただし時間概念をわからずに普通の人間も長く断食しても大丈夫の例があります。
気功理論を勉強し、人間は必ず固体と液体食べ物からエネルギーをもらうではないことをわかれば、意識が変わって、断食も全然かまわないです。長期に断食しても毎日体力 が十分で元気のまままで、ちょっと長い訓練が必要です。よく理解してください:いままでの人類の進化は十万年、百万年を単位で測りました。個人としてその種類の進化は自分の人生で終われば、その濃縮した時間はその濃縮した苦痛と正比になるでしょう。だから、簡単と言えるところもあるし、 奥深いところもあります。自分は無意味の断食より、人類の進化の探求の意識で考えれば、積極的な意識して、意欲ももっと湧いているでしょう。それで、苦痛も弱くなると思います。ただし、心 の深いところからその大きな意識を思えば、意識修養が不可欠です。ただし、専門知識を分からずに、無知な断食は意味もないし、危険ですから、勝手にまねてないでください。
だから、断食は、個人としても、人類としても、過程があります。目的は断食することそれ自体ではありません。断食しても、生命機能が弱らずに、食した時と同じよう に、またもっと元気になれば、意味があります。それは科学的な課題として理解してほしいです。猟奇することではないです。
それは、人類の進化の一環として理解すれば、社会意識は必ず必要なものです。中国人は子供を生んだ時、必ず「月子」をします。「月子」とは、お母さんは子供を生 んだら、必ず一ヶ月の休養をとります。しないと、その時元気がいっぱい流失するから、疲れたり、風邪をひいたり、一生の病気になるといわれます。その時不注意で、病気を 患ったまま回復しない方もよくいます。日本人は「月子」の習慣がないです、そういう意識もないです。だけど、その時に一生の病気が残ってしまうという話はあまり聞いたことがないです。それは「社会意識」です。みんなそうと思えば、そういう結果が出ます。
今の「社会意識」は、食べないと、生まられないですから、普通の人間は食しなければだめです。徐々に、食べなくても体が大丈夫な人間が一部いれば、普通の人は、だんだんにそれも当たり前と思 い、社会意識が変わって、食しなくても、みんなも心配することがなし、自然のことになります。その時、断食も苦痛なことではないと思います。進化は、はじめの方が苦痛です。今よく理解しました。類人猿からの先祖からの苦痛は、大変でしょう。それを考えて、涙も出 そうです。生命を尊敬するからこそ、こういう断食を体験します。だから、無知な断食は生命に不尊敬なことですから、おやめてください。
TOP1月3日(木) 断食6日目 代々木公園
今日は断食の最後の日です。お湯コップ1杯飲んで代々木公園へ行きました。隣の明治神宮へ行く参拝の人も多いです。
今日の調子は大丈夫です。
20時35分、体重は50.5キロです。
明日から食事を始めるから、今日は料理のメニューも準備しました。昼は先ず蜂蜜とお湯半コップ、後お粥のお湯だけです。夜はお粥、トマトと卵、熱い砂糖と山芋、魚、大根、後りんごとバナナです。
蜂蜜は腸を潤す、大根は気を通じる、バナナは便を通じる効果があります。
夜お湯コップ1杯を飲みました。六日間でお湯を5リットル弱飲みました。
空腹感はあまりないけど、食べたい気持ちはよく湧いています。もう心理的に飢える段階だと思います、心は何十年の個人習慣また何百万年の人類習慣と戦うです。体の欲より、心の欲のほうが克服 は難しいです。前回の日記を読めば、最後の二、三日間で、頭が興奮でほとんど朝四時、五時までも寝られなかった。食事を始める日は、寝る時間より、早く目が覚めました。今度は期間が短いし、それほど興奮ではなくても、明日から食を始めることを思うと、興奮します。
毎回断食を体験したら、もっと食事を大切にすると思います。
食糧問題はすぐに解決できますか?
先日、日本で餓えで死亡した報道がありました。世界では、毎年1800万人が飢えで死亡しているというデータもあります。
断食に興味にある方は、自然にそういう質問がでるでしょう。餓えている人達に断食の方法を教えれば、飢えで死亡の件がなくなるでしょう。
私の考えは:昨日言ったように、断食は人類の進化の一環として、個人的な技術として、多分時間がかかります。断食はそれほど難しくないですが、社会意識は重要な背景だと思います。社会意識まで 伴うことは、短い時間でできないと思います。
断食は意識と深い関係があるから、心理的なことが鍵です。餓えている人に対して、逆に意識のほうはもっと受け取りにくいと思います。断食は多分食に対してもうそれほど心理的な餓えてない状態で、或いは食の欲はもう必死に持っているわけではない人 がしないと、無理だと思います。
空腹感は、体の感じより、心理的な感じが強いと思います。それは、個人の何十年(今までの人生と同じ長さ)、人類として何百万年の習慣ですから。だから、初めて断食 する人に対して、丈夫な体、健康な精神状態は 前提だと思います。
長期的に考えれば、それは食糧不足を解決すると思いますが、すぐには多分無理です。それは科学的な課題です。
TOP1月4日(金) 食事をはじめ 新宿御苑
今日は午前11時20分、体重50キロです。
蜂蜜とお湯コップ1杯を飲んで、1時間後お粥のお湯を飲みました。
午後新宿御苑へ行きました。今日もいい天気です。
夜ご飯を作りました。半分ぐらいしか食べませんでした。食事したら、ちょっと疲れるように感じました。何もしたくないで、眠れそうな感じです。
TOP後の感想など
六日間の断食は終わりました。空腹な六日間でしたが、充実した六日間だったと思います。
1月5日23時55分、体重は53.5キロです。
気功を練習して、気を充実する、自然的な断食があります。その時は体は普通のまま、疲れないです。それは理想状態です。ただし、気を充実すれば、必ず断食ではないです。
気は充実ではないけど、意識で主動的に断食しようという場合、断食可能です。ただし、体は気が充実していないから、疲れやすいです。
断食の応用
恥ずかしいけど、東京へ着たばかりぐらいの時、入院したことがあります。
大学院を探しながら、部屋を探しました。東京へ着たばかりの外国人として、部屋を探すのは苦労でした。ある日、お腹が痛くて、ある病院へ行くと、医者に入院しないと命が危ないと言われました。入院して、注射したばかりでした。始めはお腹 が痛かっただけ、十日間で、腸閉鎖になりました。おならも出なかった。「手術と言われたら退院する」と知り合いに話しました。
とうとう医者は「手術しなければならない」と言いました。結果、保証書を書いて、退院しました。腸が通じないで、お腹が膨張して、死ぬほど痛かった。普通の人はその時退院すれば自殺と同じともいえるでしょう。病院で注射するから、食べなくてもかまわないですが、 帰宅したなら、断食しかないでした。麻痺薬がないから、痛みが減るようにお風呂に入り、ただし、体が弱っているからすぐに出なければならなかった。
断食しながら練功して、翌日朝、吐きたい感じがして、急速のトイレに行くと高圧水道のように黒い液体いっぱい吐きました。続けて、夕方がおならが出て、腸が通じた、命も通じました。
それは命を救うための一回断食実践でした。でも、それも一回大切な生命体験として、人生の富になると思っています。
断食の意味
普通の人は、専門知識がないですから、そういう体験はしないでください。ただし、知識として了解すれば悪いことではないでしょう。
人間はただ固体と液体食料からエネルギーをもらうだけではないです。
地震、登山、探険など、万が一の場合、食料品がなくなったら、救われるまで、慌てないで、静かに待っているのが大事です。食べなくて、一ヶ月でも構わないから、平気に待ちましょう。自身のエネルギーを守る事は大事です。それで、生存の可能性が増えるかもしれません。
気功を練習する方に対して、断食も必修科目ではないのです。その準備は十分でないと、危険性もありますから、体験したければ、慎重にしてください。
食料品は異なる「気」の表現形として理解すれば、「気功生活化」ももっと深く理解するようになると思います。
断食しても、気を収めて命が続くから、食事しながら、もっと収めて、がんばって練習して、体がもっと元気になるはずですよね。
気功の体験はたくさん種類があります、一人で全部体験することは無理だとおもいますが、 互いに体験を交流することは大事だと思います。だから自分が体験しなかったところがあっても、「理」で理解して、それも一種類の体験ではないでしょうか。
プロの気功練習家に対して、断食は必修科目です。気功のレベルがある程度になったら、いろいろな長期間な練習があります。その練習を続けるため、長期間でとまらない時があります。たとえば長期間の坐禅とか。だけど、それは私たち普通の練習者はできないレベル だから、関係がないでしょう。
食事はいろいろな味があります。好きな味も嫌いな味もよく食べれば、栄養のバランスがいいです。
人生はいろいろな体験があります。好きな体験も嫌いな体験もうまく対応してこそ、豊富な人生です。たまに嫌いな体験を主動的にすることは、もっと嫌いな体験を避けるためです。
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